CONCEPT

背 景

およそ1300年前、日本の国づくりは、平城京から第一歩を踏み出します。当時、聖武天皇は、周の武則天(ぶそくてん)、唐の第6代皇帝・玄宗の文化を取り入れました。貴族・仏教文化を築き、日本仏教をとおして鎮護国家をめざし、天平文化が花開きました。奈良・平城京からはじまった天平文化を支えた技術は、現代の伝統工芸に伝承されています。正倉院宝物をはじめ、日本中の伝統文化の技術の礎になっていることは言うに及びません。高度な工芸技術で作られた多くの文化財は、世界遺産として登録され、奈良が世界に誇る宝物として注目されています。

発掘から分かる豊かな流通と交易品

平城京は税として物資を納める制度で支えられていた為、税を納めるために人の行き来が頻繁になると流通や交易が進みさまざまな品物が都に溢れました。大陸との交易で手に入れた中国の唐三彩や陶磁器、唐三彩を参考に作られた奈良三彩は、国家や貴族が行う祭祀・仏教儀式に使用され、壺は高級な火葬蔵骨器として用いられていました。生活に欠かせない食器の杯・皿・高杯や壺などの貯蔵具、甕や鍋の煮道具は、生駒山や奈良山の他、和泉国(大阪府)、美濃国(岐阜県)、尾張国(愛知県)、播磨国(兵庫県)、備前国(岡山県)など各地の手工業集団が大量生産し、税として送られ、交易品として運ばれました。岡山県の寒風古窯、愛知県の猿投窯などは大きな生産地であったことから、中世から現在まで生産が続く代表的な陶磁器の産地として有名な六古窯の瀬戸焼、常滑焼、備前焼の起源に影響を及ぼすことになります。

天平文化からはじまる、日本文化の夜明け

奈良時代につくられた数々の流通品や交易品で天平文化を築いた当時と同じように、平城京へ全国各地から運ばれ活気に溢れた賑わいある市の再現を図ると共に、文化発祥の誇りを抱き、工芸の素晴らしさを伝えることを目的とし、奈良初の「奈良登大路陶器市」を開催いたします。

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